2018年1月27日 | 未分類 |
毎日ブログ1462日目。
先日、中学生の女の子が
学校で友達とトラブルが
あったと話してくれました。
相手が何で怒っているのか
わからないし、
理解ができないとのこと。
相手の子の
話を聞いているわけではなく
一方の話しか聞いていないから
心情的には彼女の味方だけど
どっちがいいとか
悪いとかはわかりません。
でも、悩む彼女にこの本を
紹介しました。
この中の一節。
世の中のほとんどの人間がなりたいと考えている自分像の一つに「優しくなりたい」というのがあります。これは神様をやっていると本当によくお願いされることの一つですから、覚えておくといいでしょう。ところが、ほとんどの人は神様にお願いをしたらなれると思っている。でも、もうご存知のように、何かを変えるのが福の神の役割ではありません。変わるのはあくまで本人なのです。ぼくたちにできるのは、そのお願いに応じて「優しい人」になるための経験を与えてくれる人との出会いを用意することです。
その経験は
優しさをもらった時、愛を感じた時
のようなポジティブな経験もあれば
ムシをされた時やいじめられた時
のようなネガティブな経験。
ポジティブな経験から
優しくなれることもあれば
ネガティブな経験から
こんな思いを誰かにはさせたくない。と
人に優しくなれることもあります。
だから、今回の経験は
○ ○ちゃんに憑いている
福の神が与えてくれた経験なのかもよ!!
と伝えました。
人からされて嫌なことはあるし、
自分のことクズだな。って思うほど
自分が嫌になることだって
あります。
(最近、俺はクズだな。と感じることありました。笑)
でもその出来事や
感情も決して無駄じゃない。
いつもいつもいいことが
あるわけじゃないし、
いつもいい自分でいれるわけじゃないから。
そんな出来事や
嫌な自分も丸ごと
受け止めて受け入れることができる
メンタリティをもてたら
きっと幸せだろうな。
って思うんですね。
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