2021年3月25日 | 未分類 |
毎日ブログ2610日目。
この夏、東京オリンピックが
どうなるのか?
そんな議題があちらこちらで
聞こえる昨今ですが、
僕にとっての
一番古くに記憶のあるオリンピックは
1992年バルセロナオリンピック。
柔道をはじめたその年に
開催されたオリンピックで
憧れの人ができた。
金メダル最有力候補と言われ
大会直前に大けがをして
もうダメか?
と思わせておいて
感動の金メダル。
小学4年生の僕は
目を輝かせ、心が躍った。
小学6年生の時に
観戦に行った
全日本選手権で
試合を見に来ているその方を見つけ
サインをもらった時は
本当に嬉しかった。
中学に入っても
バルセロナオリンピックで
その方が準決勝で見せた
背負い投げのシーンを
マネしたくて
友だちにわざと上で暴れてもらって
そのまま投げる練習をした。
釣手を脇口を持って行う
逆の一本背負いも
練習を何回もした。
アトランタオリンピックで
勝ちを目前にして
銀メダルに終わった時の
あの呆然とした表情は
勝負の厳しさを
目の当たりにした。
引退か?
と騒がれても
シドニーオリンピックを目指し、
最後まで戦う姿は
本当にかっこよかったし、
引退を決めた時は
1つの時代が終わったと思った。
僕の中の「柔道」は
人生の中でとても大きなもので
その中で最初に知った
柔道家であり
最初に憧れた人古賀稔彦さん。
そんな古賀稔彦さんが亡くなった。
というニュースは
耳を疑う大きな衝撃でした。
21歳の時
そんな憧れの人に会えることがあった。
縁あって講演会に来る
古賀稔彦さんの車での送迎を任された。
駅に迎えに行き、
初めてあった時に
震えた。
緊張しすぎて
古賀さんの
今日はよろしくね!
の返事に
普段使ったこともない
押忍。という言葉が出て来て
押忍は空手だろ〜。笑
と突っ込んでくれた。
会場に向かう中
どんな会話をしたかは
覚えていないけど
初めて会う若造の僕に
しきりに話をしてくれたことは
覚えている。
憧れと会って
尚、憧れなままだった。
今、うちでやっている
「木根塾」も
古賀さんがやっている
柔道道場の名前
「古賀塾」から
インスパイアされたものだ。
10歳からの僕に
大きな影響を与えてくれた
古賀さんの死は
受け入れ難いショックな出来事だった。
あまり考えたことないままに
「憧れ」と表現していたけど
今回のことで
どんな部分に憧れているか?
考えてみた。
柔道にまっすぐなところ。
そんなことが頭に浮かんだ。
現役を退いた後
テレビバラエティーに
出るときも僕が知る限り
柔道家として出演しているところしか
見たことがない。
1つのことに真っ直ぐなところ。
そこに惹かれる。
そして僕もやっぱり
「憧れの人」のように
真っ直ぐでありたい。
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憧れの人って人それぞれ違うし、理由とか色々と違うけど生き方に憧れて、自分もそうなりたいと思うことは共通していると思います。自分にとって憧れる人は身近にいるけど、行動とか考え方とかかっこいいなと思うし、勉強に対する気持ちとか努力するところなど様々なところがかっこいいなと思うし、憧れるし、自分もそうなりたいと思うことができます。自分の憧れの人を大切にしっかりと見て、自分の理想に近づいていけたら良いなと思いました!
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